来日公演 先行インタビューレオ・ジアノラ  音楽を語る
前編「音楽との出会い・ギターとの出会い」




西垣林太郎(以下R)「ギターを始めたきっかけを教えて下さい。何歳の頃でしたか?ご家族に楽器をする人はいましたか?」

 

レオ・ジアノラ(以下L)「ギターに最初に出会ったのは、父を通してでした。父はプロではありませんでしたが、ナポリ音楽の歌を歌ったりギターを弾いたりしました。父が歌い、そこに母が声を合わせて歌っていて、子供のころからナポリの音楽にいつも囲まれていました。けれども、自分自身でギターの魅力に本当に目覚めたのは11歳のころで、独学でギターを学ぶようになりました。そうです、父のギターを使ってですよ。

 

多くの独学のギタリスト同様、ビートルズやボブ・ディランなどを弾きましたが、それだけでなくナポリやイタリアの『古典』にも親しみました。」

 

「ナポリの古典と言うと、日本でもとても有名なオー・ソレ・ミオやフニクリ・フニクラなどが思い浮かびますが、そういうイメージで良いのでしょうか?何か付け加えることがあれば教えて下さい。」

 

「確かにオー・ソレ・ミオなどのような歌は有名でほとんどの人が知っていますね。それがナポリの音楽のイメージでしょう。でも、ナポリの音楽やその人々の精神を知るにはもう少し歴史をさかのぼる必要があります。ナポリはスペインやアラブ、フランスの統治を受けたため、何世紀にも渡って様々な文化の坩堝であり続けました。そのため、それらの文化の「音楽の色調」が歌や器楽曲に反映されています。例えばナポリの6度(イ短調の自然短音階でSiナチュラルの代わりにSiフラットが用いられること)はナポリのメロディーの特徴となっています。それはムーアを起源とする特徴です。語りだせばきりが無くなってしまいますが、ナポリの音楽に常に存在するものは、ブラジル人の言うサウダージ(saudade)のようなものです。思慕、失恋、遠く離れた故郷への郷愁などを音楽や歌詞でナポリの美しさとともに表現しています。僕はブラジルの音楽が大好きですが、それもこうした共通性によるのかもしれませんね。ナポリの人々は経済社会的状況を改善すべく移住を余儀なくされることも多く、どこにでもナポリの人々はいます。

 

R「個人的には歌手のマルコ・ビーズリー (Marco Beasley)やピノ・デ・ヴィットリオ( Pino De Vittorio) は古楽的アプローチも含めた多角的な視点でナポリの音楽も多くレパートリーに取り入れて幅広い活動をしていて好きです。」

 

 

L「それはとても嬉しいです。ピノ・デ・ヴィットリオは南イタリアの伝統音楽を専門とするすばらしい歌手ですし、親友のマルチェロ・ヴィタレ(Marcello Vitale)というギタリストが(chitarra battente)というイタリアの地中海側を中心として使われている金属弦のギターでよく共演しています。」

 

「その後、ギターとの関わりはどのように変化していったのでしょうか。」

 

「たちまちにギターの持つ表現力の虜になり、ロックやブルースを通じて最初はアコースティックギターを、後にエレキギターを弾きました。ロックのエネルギーに魅力を感じましたが、今もその思いは変わりません。ブルースは後にジャズを演奏することに繋がりました。

 

私がギターに心奪われたのは、まず、その表現の豊かさによってでしたが、その一方でギターが持つ親しみやすさに気付くようになりました。音色をことさらに強調しなくても、人々の耳にそっと届き、音楽を難なく共有することができます。こんなふうにして、ギター演奏への情熱が沸き上がり、職業にするに至ったのです。

 

大学の建築学部の3年まではギターを演奏しながら学業も続けていました。その間、ブルースやジャズ、またはロックの幾つかのバンドに参加してセミプロ的な活動をしていました。そして23歳の頃にプロになる決意をし、ジャズの歴史や技術を正しく学ぶために音楽学校に通いました。」

 

「なぜ建築学部に進学したのですか?」

 

「デッサン、特に透視図に常に興味がありました。そういった線画を日常生活に生かすのに、家の材質を考えたり、都市計画を考えるのですが、そのときに自然にその世界に入り込めるか、それを通じて何を共有できるかなど、自分たちの環境とのハーモニーを考えることはギターの演奏と同じです。個人的には有機的建築*が好きです。

(*アメリカの建築家 F.ライトの提唱した建築理念。ル・コルビュジエらの機能主義建築と相対立する。/ブリタニカ国際大百科事典)

 

例えば美しい旋律を、装飾を付けずに、余分なものをはぎ取った状態で本質的な部分を、それ単独で生き生きとさせてから、ハーモニー・和声との《出会い》を考えていくという音楽の作業は、私にとって建築の手順と同じですし、生活一般についても同じことが言えると思います。

 

例えば、自然の中にある一軒の家は周辺の木々と出会って溶け合います。同じように、自然と思い浮かんだメロディーは、和声などと出会い溶け合うことにより発展していきます。このように《出会い》が生み出すものはシンプルです。」